●仏塔古寺十八尊 第9番札所 霊禅山 東塔院 久米寺 〒634-0063 奈良県橿原市久米町502 TEL:0744-27-2470 HP:ウィキペディア | |
●西国四十九薬師 第7番札所 |
【関連霊場等】
◆【御朱印マップ】 西国薬師四十九霊場 @近畿地方
◆【御朱印マップ】 聖徳太子霊跡 @近畿地方
◆【御朱印マップ】 仏塔古寺十八尊 @近畿地方
◆【御朱印マップ】 大和七福八宝巡り @奈良県
![]() | 御朱印集めが楽しくなるiPhoneアプリ御朱印マップを公開しています。 ダウンロードはこちらからどうぞ。 |
橿原神宮を参拝した後、近くの久米寺を参拝しました。
西国四十九薬師霊場の一つということで参拝に来たのですが、御由緒を見てびっくりしました。
久米寺の由緒および沿革
当寺は推古天皇の勅願により用明天皇の皇子聖徳太子の御弟君にまします来目皇子の御建立された寺院であります。
皇子が七才の御時、眼病を患い給いしとき、御兄君聖徳太子のおすすめで、ここにおいて衆病患除の薬師如来の願力を頼み、三十七日丹精無二の祈願を成し、二十一日満願の暁き、不思議なるかな二十五菩薩と御供に一寸八分閻浮陀金の薬師瑠璃光如来天より皇子の左の御手に御降臨あらせられ、皇子の両眼は如来の大慈光明に照らし給ひ、両眼忽ちに平癒あらせられ故に皇子自ら吾は来目皇子と称し、金堂講堂鐘楼経蔵大門五重塔等造営ありて伽藍となし、皇子の御名を取りて来目の精舎と来目皇子七堂伽藍創立以前に武人の始祖久米部之命の末孫等久米部の氏寺として、小寺院建立ありたり。即ち久米寺と称し、その御養老二年印度摩伽陀国善無畏三蔵は十善帝王の位を捨て、遠く天竺より我朝に来り当寺に寄留して日本最初の多宝大塔を建立し、三粒の佛舎利と大日経とを塔柱に納め給う。
大同二年十一月八日弘法大師は諸大弟子と宝塔内において経王を講讃し、はじめて真言密教宣布し給う。
真言宗を日域に弘め給う密教弘演の根本秘宗傳燈の聖地である。後に久米寺と改称せられる。
弘法大師と益田岩船
弘法大師と因縁深き益田岩船は久米寺元南大門より南七丁の丘上にある巨岩で不思議な石像物の一つである。
益田池碑の岩座であるとの説もあり、又、益田池の硬写は当山金堂の裏にあり。
三蔵法師が逗留した!?
・・・と思いましたが、後で調べてみると『西遊記』で有名な玄奘三蔵とは別の三蔵だそうです。
それはさておき、日本最初の多宝大塔が作られたり、空海が真言宗を開く1つのきっかけになったりと、ずいぶんと由緒正しいお寺のようです。
ちなみに現在境内にある多宝塔は、のちに仁和寺から移築されたものだそうです。
御朱印は、本堂右側の御朱印所で頂くことができました。
こちらは、始めて頂いた仏塔古寺十八尊の御朱印。
これから折を見て、集めていきたいと思います。
それからこちらが、西国薬師の御朱印。
昨年12月31日に薬師寺で1番の御朱印を頂いて以来となります。
こちらも無理せず、ゆっくり集めていきたいと思います。
本堂の建物もずいぶん古いようで、御朱印所のお坊さんに聞いてみました。
すると、本堂の建立年はわからないとのこと。
もともと久米寺の境内はかなり広かったのですが、徐々に狭くなってきており、現在の本堂は以前の境内に建てられていた様々な建物の建材を流用しているのだそうです。
ある意味、それもまた歴史ですね。
意外に良いお寺に参拝することができました。
より大きな地図で 【御朱印マップ】仏塔古寺十八尊(近畿地方>京都府、奈良県、和歌山県、大阪府、兵庫県) を表示
【関連記事】
◆【御朱印マップ】 西国薬師四十九霊場 @近畿地方
◆【御朱印マップ】 聖徳太子霊跡 @近畿地方
◆【御朱印マップ】 仏塔古寺十八尊 @近畿地方
◆【御朱印マップ】 大和七福八宝巡り @奈良県
◆【御朱印帳】 東寺 @京都府
◆御朱印とは
◆御朱印一覧
◆御朱印帳一覧
◆御朱印マップ一覧
![]() | 奈良 寺あそび、仏像ばなし 吉田 さらさ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |