●隅田川七福神 布袋尊 牛頭山 弘福寺 〒131-0033 東京都墨田区向島5-3-2 TEL:03-3622-4889 HP:ウィキペディア |
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新春、隅田川七福神!
歌川国芳の十三回忌碑があることでも有名な三囲神社を参拝した後は、次の弘福寺へやってきました。
弘福寺(こうふくじ)
布袋尊(ほていそん)
黄檗宗弘福寺は、三百余年の昔、名僧鉄牛禅師によって創建された。黄檗宗は禅宗の中でも中国色の強い宗派として知られ、当寺に布袋尊の御像が安置されたのも、実はその黄檗禅の性格に深くかかわるのである。
布袋尊は、唐時代の実在の禅僧である。常に大きな布の袋を持ち歩き、困窮の人に会えば袋から財物を取り出しては施し、しかも袋の中身は尽きることがなかった。その無欲恬淡として心の広い人柄は、真の幸福とは欲望を満たすことだけではないことを、身をもって諭した有徳として、世人の尊崇を受け、七福神としても敬われたのである。
山門をくぐると、冒頭の素晴らしいお堂が目に飛び込んできます。
関東大震災で焼失した後1933年に再建されたそうで、非常に立派でした。
御朱印は、七福神めぐりのためのテントが出ていたので、そちらで頂きました。
また境内には、有名な庵もあったようです。
淡島寒月 旧居跡
父の淡島椿岳は、江戸時代に大流行した軽焼きせんべいの名店「淡島屋」を経営する実業家で大地主であった。また、知識欲が旺盛で、画を学び、ピアノを買って演奏会を開く趣味人でもあった。明治17(1884)年、向島の弘福寺地内に隠居所を建てて住んだ。
息子の寒月は西鶴再評価のきっかけをつくり、趣味人として、新聞や雑誌に寄稿。実体験をベースにした小説や江戸にまつわる話などを洒脱なタッチで著わし好評を博した。
明治26(1893)年頃、父の使っていた隠居所を梵雲庵と名づけ隠居。「梵雲庵寒月」と号し、悠々自適な生活に入る。夏目漱石の「我が輩は猫である」に水島寒月という学者が登場するが、モデルは寺田寅彦で、名前は寒月から採ったといわれている。
収集家としても有名で、梵雲庵には三千余の玩具と江戸関連の貴重な資料があったが、関東大震災で全て焼失されてしまった。
さて、それでは次の札所に向かいます。
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