大江戸「事件」歴史散歩 (中経の文庫)
大石 学
中経出版 2012-10-26
大江戸八百八町に勃発した事件・出来事が面白い!
江戸城の建設や明暦の大火、絵島生島事件、黒船来航、桜田門外の変・・・。「天下泰平」が謳われていた時代とはいえ、江戸にも現代と同様、数多の事件や出来事、人間ドラマがありました。
本書は、265年にもわたる江戸期の主要エピソードを時系列で取り上げ、図版や写真を使いながらわかりやすく解説。歴史の現場を実際に訪れるためのアクセス方法もわかる!
『国芳一門浮世絵草紙』を読み終えて、江戸時代のエピソードをもっと知りたくなって購入した本です。
この本は、最近はやりの「古地図で歩く東京」といった、歴史を感じながら散策する方にとてもお薦めな内容となっていました。
この本には、下の【目次・メモ】にも記載したとおり、江戸時代の膨大な「事件」を解説するとともに、現代のその場所も解説してくれています。さらに、江戸時代の浮世絵なども掲載しているところが秀逸。読み進めていくだけで、江戸の歴史と地理と絵画に触れることができます。
例えば、泉岳寺駅のそばにある石垣。
ほくほくは、取引先に行くときに何気なく通り過ぎていたのですが、あれは江戸の入り口を表す石垣だったんですね、とか。
毎日の何気ない移動にも「気づき」を与えてくれる内容になっています。
文庫本サイズに大量の話を盛り込んでいるので、一つ一つの話が短く絵も小さくなってしまっているのは残念ですが、これだけの内容で文庫のお値段というのは非常にありがたいです。
自分が今までに訪れたところの知らないエピソードが紹介されていたり、見たことのある絵が掲載されていたりするのもうれしいですね。
もちろん、知らない場所には行ってみたくなります。
何気ないところにも歴史がある。
この本は、その一端をとても楽しく紹介してくれています。
【目次・メモ】
<第一章 首都江戸の造成>
- 徳川家康、東海道の交通システムを改革!
- 『東海道高輪風景』(P.16)
- 『東海道五十三次之内』「原 朝之富士」(P.18)
- 『双筆五十三次 浜松』(P.19)
- 急ピッチで進む江戸の都市計画
- 『御本丸方位絵図』に、江戸城の鬼門(北東)に寛永寺、裏鬼門(南西)に増上寺が描かれている。(P.23)
- 新旧の市街を結ぶ日本橋が架橋される
- 『東海道五十三次之内』「日本橋 朝之景」(P.26)
- 向島の漁師、白魚網漁の特権を獲得
- 『東都三十六景 佃しま漁舟』(P.31)
- 『東都花暦 佃沖ノ白魚』(P.32)
- 浅草に年貢米用の一大倉庫群が出現!
- 『倉に米俵を運ぶ福神たち』(P.35)
- 『東都浅草絵図』(P.36)
- 乳母・春日局の奔走で、家光が三代将軍に就任
- 『徳川家光公』(P.39)
- 『春日局肖像』(P.40)
- 徳川家光が日光東照宮の造営に56万8千両をかけた。(P.40)
- 春日局の墓は、文京区の天沢山麟祥院にある。(P.41)
- 江戸の鬼門、上野に寛永寺が完成!
- 『東都名所 上野叡山全図』(P.42)
- 比叡山延暦寺にならい、寛永寺は(江戸城の)鬼門方向に建て、「東の比叡山」の意味で東叡山、年号から名前をとって寛永寺とした。(P.44)
- 寛永寺は、増上寺と共に徳川の菩提寺の地位を確立。(P.44)
- 江戸城に高さ約60メートルの天守閣が完成!
- 『江戸御城御殿守 横面之絵図』(P.47)
- 『武州豊嶋郡江戸庄図』(P.48)
- 吉原遊郭、浅草寺裏の田んぼにお引越し
- 『北廓月の夜桜』(P.50)
- 『新吉原全盛七軒人 松葉屋内粧ひ にほひ とめき』(P.52)
- 『遊廓善玉悪玉』(P.53)
- 吉原遊郭の「投込寺」、栄法山清光院浄閑寺が紹介されている。(P.55)
- 浪人たちの不満が爆発した幕府転覆未遂事件
- 『慶安太平記 城外之場』(P.56)
- 町娘の執念!?明暦の大火で市中の六割が灰に!
- 『むさしあぶみ』(P.60)
- 明暦の大火の火元とされる徳栄山本妙寺。(P.63)
- 不良グループの構想で幡随院長兵衛、斬られる
- 『極付幡随院 長兵衛』(P.64)
- 幡随院長兵衛の墓所は源空寺。(P.67)
- 両国橋が完成!本所・深川の開発進む
- 『東都両国夕涼之図』(P.68)
- 『両国夕涼ノ図』(P.70)
- 『江戸名所四季の内 両国 花火の図』(P.71)
- 小間物屋から急成長!京都の白木屋が江戸に出店
- 『白木屋』(P.74)
- 現金安売の新商法で越後屋が他を圧倒!
- 『駿河町越後屋呉服店大浮絵』(P.78)
- 越後屋(現、三井)の三井家と三囲神社の縁が記載されている。(P.81)
- 日本橋のたもとに新魚市場がオープン!
- 『日本橋魚市繁栄図』(P.82)
- 八百屋の娘・お七が放火犯!?甚大な被害を出した大火
- 『松竹梅湯嶋掛額』(P.87)
- 『徳川幕府刑事図譜』「旧江戸鈴ヶ森刑場の図」(P.88)
- お七の墓があるのは南縁山正徳院円乗寺。(P.89)
- 人を苦しめた動物愛護法「生類憐みの令」発布
- 『元禄九年江戸大絵図』(P.91)
- 『教訓善悪小僧揃』(P.92)
- 大江戸細見!其の壱
- 『東都名所 霞ヶ関全図』(P.95)
- 『麹町永田町外櫻田絵図』(P.95)
- 『絵半切かしこの文月』(P.96)
- 『築地八町堀日本橋南之図』(P.96)
<第二章 花の大江戸八百八町>
- 神田祭の祭礼行列、はじめて江戸城に入る。
- 神田神社の神田祭は、日枝神社の山王祭とともに江戸を代表する祭り。(P.98)
- 『神田御祭礼』(P.99)
- 『神田明神祭礼絵巻』(P.100)
- 囚人の高死亡率で小伝馬町の牢に環境改善命令
- 『徳川幕府刑事図譜』「旧江戸伝馬町牢獄内 昼の図」(P.102)
- 大安楽寺には伝馬町処刑場跡の碑がある。(P.105)
- 江戸にはじめての天文台が開設される
- 『富嶽百景 鳥越の不二』(P.106)
- 『寛政暦書』「測量台の図」(P.108)
- 学問の殿堂「聖堂」が湯島の地で落成
- 『聖堂講釈の図』(P.110)
- 湯島聖堂は元禄三年(1690)に落成した。(P.112)
- 高田馬場の決闘で中山安兵衛が名を上げる
- 『高田馬場仇討』(P.114)
- 火事の教訓から生まれた寛永寺門前町の広小路
- 現在の上野広小路は、元禄十一年(1698)に寛永寺の大部分を焼いた火災をきっかけに整備された。(P.118)
- 歌川広重『名所江戸百景 下谷広小路』(P.119)
- 『両ごく大曲馬の賑ひ』(P.120)
- 江戸城・松之廊下で起きた前代未聞の刃傷沙汰
- 『忠雄義臣録第三』(P.122)
- 徳川将軍の別邸・品川御殿が焼失!
- 『東都名所 御殿山花見品川全図』(P.126)
- 沢庵宗彭のために徳川家光が東海寺の建立を約束したのは品川御殿。(P.129)
- 赤穂浪士、吉良邸を襲撃!ついに主君の恨みを晴らす。
- 『忠臣蔵義士本望の図』(P.130)
- 『大石内蔵助良雄像』(P.132)
- 『曽我忠臣蔵錦絵并番附集「3」』「義徒等本望を遂 墓前へ手向けの図」(P.133)
- 赤穂浪士の墓は泉岳寺にある。(P.135)
- 大奥に最大のスキャンダル発覚!?絵島生島事件の真相
- 『あずまにしきゑ』「生嶋新五郎之話」(P.136)
- 『徳川家累代御台所ノ図』(P.137)
- 絵島は、増上寺参詣の際に生島の芝居を見に行った。(P.138)
- 大岡忠相、スピード出世で江戸町奉行に大抜擢!
- 『義高島千摂綱手』(P.141)
- 江戸の町を火事から救え!町火消「いろは四十七組」誕生
- 『江戸三火消図鑑』(P.144)
- 『纏尽』「も組二番組」(P.146)
- 『江戸乃華』(P.147)
- 神田神社の明神男坂は、火消4組が奉納した石坂。(P.148)
- 貧しき者にも医療を!“赤ひげ”の養生所が開業
- 小石川養生所の作成を徳川吉宗の目安箱に投じたのは、伝通院前に住む町医者小川笙船。(P.150)
- 『小石川養生所之図』(P.151)
- 財政難に喘ぐ寺に富くじ興行を許可
- 『東都歳時記』「谷中天王寺 富の図」(P.154)
- 「江戸の三富」として富くじ興行が許可されたのは、谷中感応寺(天王寺)、目黒不動瀧泉寺、湯島天神喜見院。(P.156)
- 喜見院は、湯島天神の別当となった上野寛永寺の一院。(P.157)
- 刀の切れ味は死体で試す!?山田浅右衛門、人斬り職人に
- 『徳川幕府刑事図譜』「御様の図」(P.158)
- 人斬り浅右衛門の墓は、要町の瑞鳳山祥雲寺にある。(P.161)
- 将軍吉宗が整備した桜の名所 飛鳥山が一般公開
- 『飛鳥山花見』(P.162)
- 大江戸細見!其の弐
- 『品川 くじらの図』(P.166)
- 『力士力較』(P.167)
- 『阿蘭陀箕駱駝』(P.167)
- 『四ツ谷新宿太宗寺』(P.168)
- 『奇態流行史』(P.168)
<第三章 成熟する町人文化>
- 風紀の乱れで廃止された内藤新宿の再営業を許可
- 歌川広重『名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿』(P.171)
- 『江戸名所図会』「四谷大木戸」(P.172)
- 現在の新宿御苑は、江戸時代には約10万坪におよぶ内藤家の屋敷の一部。(P.173)
- 目黒行人坂で火事発生、死者は約15,000人!
- 『目黒行人阪火事絵巻』(P.174)
- 火元は目黒の大円寺。(P.177)
- 日本初の西洋医学翻訳書『解体新書』が完成!
- 『解体新書』(P.178)
- 民衆の不満、ついに爆発!江戸で打ちこわしが発生
- 『幕末江戸市中騒動図』(P.182)
- これをきっかけに老中になった松平定信の墓は、清澄白河の道本山東海院霊巌寺にある。(P.185)
- 出版界の仕掛人・蔦屋重三郎 日本橋に耕書堂をオープン!
- 『画本東都遊』「絵草子店」(P.186)
- 『堪忍袋緒〆善玉』(P.188)
- 谷風・小野川に横綱免許を伝授!
- 『横綱伝授の図』(P.190)
- 富岡八幡宮に「横綱力士碑」がある。(P.193)
- 無宿者の更生施設、人足寄場の建設はじまる
- 『製油録』「関東油搾り場」(P.194)
- 『長谷川平蔵 市中見回りの図』(P.195)
- 十返舎一九の滑稽本『膝栗毛』刊行スタート!
- 『東海道中膝栗毛』(P.198)
- 作者の十返舎一九の墓は、中央区の真圓院東陽院にある。(P.201)
- 美男の僧・日道が起こした大奥を巻き込む大スキャンダル
- 『延命院日当話』(P.202)
- 舞台は、荒川区にある宝珠山延命院。(P.205)
- 芝明神社の境内で町火消「め組」と力士が大乱闘!
- 『神明恵和合取組』(P.206)
- 舞台は港区の芝大神宮。(P.209)
- 祭り見物の群衆の重みで隅田川の永代橋が崩壊!
- 『文化四年八月富岡八幡宮祭礼永代橋崩壊の図』(P.210)
- 江戸三大祭りに数えられる富岡八幡宮の祭礼で発生した惨事。(P.212)
- 死者の供養塔は目黒区の海福寺にある。(P.213)
- 曖昧だった江戸の範囲を確定、朱引図で示す
- 『旧江戸朱引内図』(P.214)
- 江戸の範囲を表す「御府内」が定まった。(P.216)
- 将軍家斉の娘を嫁に迎えるべくつくられた東大の赤門
- 『松乃栄 旧幕府之姫君 加州家へ御輿入之図』(P.218)
- 義賊か、それともただの泥棒か!?天下の大泥棒・鼠小僧が御用に
- 『踊形容外題尽 鼠小紋東君新形桶の口の場』(P.223)
- 『江戸名所図会』「回向院開帳祭」(P.224)
- 鼠小僧の墓は、墨田区の国豊山回向院にある。(P.225)
- 風俗取り締まりの余波で浅草に一大芝居街が誕生
- 『東都名所 芝居町繁栄之図』(P.226)
- 大江戸細見!其の参
- 歌川国芳『源頼光公館土蜘作妖怪図』(P.230)
- 歌川国芳『荷宝蔵壁のむだ書』(P.233)
- 歌川国芳『亀喜妙々』(P.234)
<第四章 幕末動乱の時代へ>
- 90歳の現役絵師・葛飾北斎、逝く
- 葛飾北斎『富嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見』(P.236)
- 『八十三歳自画像』(P.238)
- 『北斎仮宅之図』(P.239)
- 北斎が住んでいた場所は、墨田区の榛稲荷神社のそば。(P.240)
- 「黒船来る」の第一報に江戸は夜も眠れず!
- 『北亜墨利加蒸気火輪船正図』(P.242)
- 『北亜墨利加人物ペルリ像』(P.242)
- 外国船から江戸を守れ!国防のため「お台場」が築かれる
- 『品川大筒御台場出来之図』(P.246)
- 江戸の町を襲った直下型地震!死者は7,000人超か!?
- 『浅草寺大塔解釈』(P.250)
- 『江戸大地震之絵図』(P.250)
- 浅草寺の五重塔の上部九輪は、この大地震で折れ曲がった。(P.253)
- 歌川広重の『名所江戸百景』には、九輪が修復された浅草寺五重塔が描かれている。(P.253)
- 咸臨丸、日本初の太平洋横断に出航!
- 『咸臨丸難航図』(P.254)
- 降り積もる雪を朱に染めた桜田門外の変
- 『江水 散花雪』(P.258)
- 『水戸浪士愛宕山集会之図』(P.260)
- 桜田門外の変を起こした浪士たちが集まったのは、港区の愛宕神社。(P.262)
- 攘夷派の水戸浪士、イギリス公使館を襲撃!
- 『イラストレーテッド・ロンドンニュース』(P.264)
- イギリス仮公使館が置かれたのは、港区の仏日山東禅寺。(P.267)
- 政略結婚に向け、皇女和宮が江戸に到着!
- 『和宮様御参幸御行烈附』(P.268)
- 浅草寺の雷門が大火で焼失 姿を消した浅草のシンボル
- 『元祖雷おこしと雷神御立退』(P.273)
- 歌川広重『名所江戸百景 浅草金龍山』(P.274)
- 現在の浅草寺雷門は、明治七年に復興された。(P.275)
- 西郷隆盛・勝海舟の談判でついに江戸開城へ!
- 『江戸開城談判』(P.276)
- 官軍の攻撃に彰義隊、上野の山に散る
- 『本能寺合戦之図』(P.280)
- 『佐賀藩兵上野彰義隊砲撃之図』(P.282)
- 上野戦争の舞台は、上野の山寛永寺近辺。(P.283)
- 寛永寺の黒門は、荒川区にある円通寺に移築されている。(P.285)
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