●西国三十三所 第16番札所 音羽山 清水寺 〒605-0862 京都府京都市東山区清水1-294 TEL:075-551-1234 HP:清水寺HP、ウィキペディア 拝観料:300円 |

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週末を利用しての京都寺社巡り!
今日は午後東京に帰るということもあって、京都駅に近い清水寺に参拝に来ました。
京都の市バスは充実していていいですね。

清水寺に来たのは、これが3回目。
中学生の時の修学旅行と、社会人になってすぐの旅行と、そして今回。
幾度かの補強工事を経つつも、昔と変わらない姿を見ると、中学生の頃を思い出します。
こうして思い出を感じられるのも、昔と変わらぬ寺社巡りの魅力ですね。
世界遺産「古都京都の文化財」
(京都市・宇治市・大津市)
清水寺は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値ある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められたことになります。
清水寺は、「清水寺縁起」によると、宝亀9年(778)に僧延鎮が音羽の滝上に観音を祀ったことに味まり、延暦17年(798)には坂上田村麻呂が仏殿を建立して桓武天皇の勅願時となったと伝えます。創建後何度も火災によって焼失しましたが、その都度再建され、現在は西門・三重塔・経堂・田村堂・轟門・朝倉堂・本堂・阿弥陀堂が東西に並び、そのほか周囲に仁王門・馬駐・鐘楼・北総門・釈迦堂・奥の院・子安塔・鎮守堂(春日社)、そして鎮守社の地主神社社殿が建っています。大半の建物は17世紀前半に再建されたものですが、こうした景観は13世紀には成立していました。
伽藍の中心となる本堂は寛永10年(1633)に再建された懸造の建物で、いわゆる「清水の舞台」として知られ、林立する高い東柱に貫を縦横に通して通して豪快な姿をみせています。また、仏堂である石敷の内陣と礼堂である板敷の外陣からなる本堂に裳階、正面庇、翼廊、舞台がつくという平面や、その全体に寄棟造・檜皮葺の大屋根をかける架構は、平安時代からの形を受け継ぐものです。
これらの建造物のほか、境内の東寄りには江戸時代初期の借景の技法を用いた成就院庭園が設けられています。なお、これらの周囲に広がる自然景観もみごとです。登録年月日 平成6年(1994)12月15日決定、17日登録
京都市

これが有名な清水の舞台。
国宝 本堂舞台 江戸初期
「清水の舞台」といわれ、本堂(国宝)の付属建築物で、平安時代の昔から構架されてきた。
現在の舞台組みは寛永十年(1633)徳川三代将軍家光の寄進による再建のままで、欄干親柱の金銅製宝珠に「寛永拾歳」と銘刻されている。
本堂外陣(礼堂)の廊下から南の谷へ開口約18メートル、奥行き約10メートルに、長さ5.5メートル、幅30〜60センチ、厚さ10センチの檜板を敷きつめ檜舞台として張り出し(舞台板は20〜30年毎に張り替える)、床下は巨大な欅(けやき)の柱に貫(ぬき)を縦横に通し楔(くさび)でとめて頑強に支え、いわゆる舞台造りになっている。建築学的には、懸(かけ)造りといい、礼堂の下から長短の欅柱で構築されており、観音様のお住まいとされる南インドの峻嶮な補陀落(ふだらく)(ポトラガ)山中の宝殿に実に似つかわしい。最南端は錦雲渓の急崖に13メートル強の高さで建ち「清水の舞台から飛び下りるつもりで・・・」の諺(ことわざ)を生んできた。
本来は本堂に奉祀する御本尊千手観音様に向かって舞楽を奉納する、名実共に「舞台」で、現に重要な法要には舞楽、芸能などを奉納している。東、西両側の翼廊は、その楽人たちの詰める楽舎である。
この舞台からの、錦雲渓をへだてた向山の子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺めや、京都市街、西山の遠望は、まことに見事である。
左下方には「清水寺」の寺名を由来する音羽の滝がこんこんと三筋の清水を流し、その上手には同じく舞台造りで奥の院(重要文化財)が建つ。

舞台を下から見上げると、また一段と迫力があります。
国宝 清水寺本堂 江戸初期
寛永十年(1633)徳川三代将軍家光の寄進再建。東・北・西に裳階をつけた正面十一間36メートル強。奥行九間30メートル強。棟高18メートルの高大な観音菩薩を祀る聖堂である。
創建は平安建都と同期(8世紀末)坂ノ上田村麻呂将軍夫妻の寄進による。
起り桧皮葺、寄棟造りの屋根や、軒廻りの蔀度吊りに優美な平安王朝の宮殿と貴族の寝殿造り邸宅の面影を伝承している。
正堂最奥の内々陣の大須弥壇の上に「清水型観音」といわれる清水寺独特の姿をする本尊十一面千手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天(三尊とも秘仏で、それぞれ国宝の厨子内に安置され、33年毎に開扉される)および千手観音を守護する二十八部衆、風神・雷神を全体揃えて奉祀する。
外陣は礼堂で、普段一般の参拝は此所で礼拝する。ために内側正面の欄間に本尊・脇侍の御正体を大きな円鏡形に彫刻して奉懸する。
また他の各欄間には江戸時代の大絵馬が20面近く奉納されており、中央の間の金箔の大丸柱や折上小組格天井・三尊の梵字を彫刻する彩色蟇股などに江戸初期桃山建築様式の華麗さを見る。
なお礼堂の東西両断に翼廊(楽舎)を突出し、廊下の南側へ“舞台”を張り出している。
西翼廊(車寄せ)の鉄製の大錫杖(重さ90Kg、長さ2m62cm)・小錫杖(14Kg)と高下駄(一足12Kg)は、明治初年、修行者たちが本堂下の音羽の滝から百段の石段万度上り下りの満願成就を感謝して奉納したもの。弁慶の持物にふさわしいが、各所に奉納者の刻名が残っている。すぐ前には出世大黒天が笑坐し。左手の廂間内には塩断ち阿弥陀が鎮座する。その窓下長押の深い痕筋は堂廻りの数取り串の歴史的な擦り傷の跡である。
東出口の西側欄間には臨済宗の中興の祖として称えられる白隠禅師(1689〜1766)揮毫の観音経偈句「慈眼視衆生、福聚海無量」の竪額が揚がる。
さて、御朱印は、本堂から先に進んだところにある納経所で頂くことができました。
ここは洛陽三十三観音や法然上人二十五霊場の札所でもあるようですが、今回は西国三十三所の御朱印を頂いています。
そのうちまた来ることになりそうです。
この後は、もう少し御朱印めぐりを続けます。
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